夢想譚

過去、現在、未来について日々考えたこと

「思いを馳せる」ことで自分ゴトに!

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2021年12月16日から17日にかけて、920hpp前後の強い勢力で台風22号(ライ/フィリピン名:オデット)がフィリピンに上陸。大型の台風は、フィリピン北部からボホール島、セブ島ミンダナオ島パラワン島など、合計9つのフィリピンの島々に上陸を繰り返しながら通過し、台風による甚大な被害をもたらしました。停電や通信網の遮断により、台風被害の全容を把握するのに時間がかかっていますが、2021年12月20日の時点で452,307世帯が被災被災者数1,805,005人、死者208人、行方不明者52人と報告されています。

 

わたしは、2020年の8月にセブ島から日本に家族と共に戻ってきました。直接の原因は、コロナ禍でアヤラ・モールで開いたオプティカル・ショップ(眼鏡店)が立ち行かなくなったこととわたしが透析を受けねばならなくなったためです。13年強フィリピンで生活し、幾度か災難にも遭いましたが、これほどの台風にはラッキーなことに会いませんでした。

 

セブ島の友人から悲痛な声がFacebook通じて届いています。中でも、水・電気・通信に対する欠乏感はとんでもないようです。フィリピンでは、水は地域やマンションについているタンクから供給され、タンクへは契約している業者が定期的に継ぎ足す仕組みです。タンクが壊れた、業者の水を綺麗にする機会が動かない、タンクローリーが遮断されて走れない、さまざまな理由で水が手に入らない。そうなると、トイレ、シャワー、飲み水、調理、が停まってしまい死活問題になっています。

 

ドゥテルテ大統領によると、新型コロナ対策で国家財政は逼迫しており、救援にことを欠いているという。そんな中、ユニセフをはじめとした国際団体やNGO、日本政府や日本企業などによる支援が続々と集まり始めています。がしかし、フィリピンでよくあることですが、それらがきちんと被災者に届けば良いのですが。新型コロナが始まって政府から配布された米などの食糧は、なんと自治体の長や職員が盗んで販売していたりととんでもないことが起こっていました。

 

どうかいち早く普段の生活が戻ってくるように祈ります。

 

ところで、格差、分断、新自由主義ポピュリズム……民主主義の危機、これらは頻繁に聞く言葉になりました。しかし、それぞれが何を意味しているかとなると、曖昧または明確に説明できないものが沢山あります。

 

このパンデミックという「危機」は、気がつかなかった政治及び経済の諸問題を白日のもとに晒しました。世界では多くの学者や活動家が、現制度や社会の問題点を指摘しつつ新しい世界への進むべき道や「かたち」を示唆しようとしています。

 

我が国では、岸田首相が「新しい資本主義」なんてことを言い出したものですから、一体「新しい資本主義」ってなんなんだと議論を巻き起こしています。同時に、「新自由主義」からの脱却なんてことも話題に上っていますよね。

 

まあ、そんなことは気にせず1日1日を楽しく過ごせばいいじゃないか、と嘯くこともできるかもしれません。でも、気づかないうちに泥沼に自分の足がのめり込んでいる、気づかないまま他人の足を踏んづけている、なんて事態になることは性分として嫌なんです。ですから、やっぱり考えずには、すっきりとしない訳にはいかないのですよ。しかももう何年もの間、本を読んだり、活動したり、議論したりすることを続けてきたのだから、多少の蓄積はあるし、自分の頭で考えることは止めるべきではないと思うんです。

 

ことにわたしの妻はフィリピン出身です。昨年共にわたしの透析をきっかけに日本に帰国して、生活を助けるために介護ヘルパーと中学に上がる前の子どたちに英語を教える塾での仕事につきました。フィリピン人を妻にもつ方はよくご存知のように、フィリピンの家族を助けるという目的で一生懸命に仕事をして仕送りをしたり夫の家計を助けるのは、彼女たちの普通の姿です。

 

妻は、フィリピンではドクトーラ(ドクター)と呼ばれるように、オプトメトリストと呼ばれる医者です。でも日本では、日本語もまだ不十分だし、まして医者として仕事をすることもできません。なので、介護ヘルパーと教師をして頑張っています。ありがたいし、申し訳ないという気持ちでいます。

 

妻を介して初めて介護現場を知ることになりました。また、沖縄の高齢者施設で新型コロナのクラスターが発生し、厚生労働省のDMATの次長を務める弟が対策のために派遣された時にも、介護現場で働く外国人に対する問題を相談されたこともあって実態を知ることになりました。もちろんニュースや書籍などで実態を知っていたつもりでしたが、自分ゴトにはならなかったですね。「ひどいんだなあ」と思ったレベルです。

 

そして、妻の母親代わりのアメリカに住む叔母が、新型コロナ騒動の一つとして、アジア人に対する暴行や攻撃が始まり、日々身の危険を感じるという電話が何度もありましたので、新型コロナを介して、介護現場の問題と人種ヘイト問題の二つを自分ゴトとして考えるようになったのです。

 

介護現場の問題を通じて、賃金問題、外国労働者問題、人種差別、そして高齢者への対応、とさまざまな問題があることを身をもって知りました。介護現場では、きつい労働の一つは排泄の処理です。あとは力仕事でお風呂に入れる時やトイレをサポートするのに老人を抱き抱える仕事です。多くの介護ヘルパーが、腰が痛いと訴えています。ほとんどの外国人労働者は、介護福祉士の資格を持たない最低賃金で仕事をする地域に住むわたしの妻のような人達か、最低賃金以下の賃金で働く実習生です。

 

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介護福祉士や看護師の日本人は、これらのきつい労働を外国人にさせることが多く、絶えず体が痛いと不満を漏らしているのです。こんな賃金でこんなきつい仕事をするのは、なんて理不尽だと思います。だって、ファミレスやマクドナルドでバイトした方が賃金は高いわけでしょ。そして、明らかに外国人蔑視ですよ。

 

ある日、日本人の若者が妻の職場に応募してきたそうです。その子は、排泄の処理ができず1日で辞めてしまったそうです。そうなりますよ、大切だけど好き好んでやる人は日本では希少だと思います。「あなたが老人になって痴呆を発想したりして自分一人でトイレに行けなくなったら誰が一体それを助けてくれるんですか?」って自問自答してみる必要があるでしょうね。今は、日本の方が賃金が良いからと来てくれる外国人はいます。でも、経済状況は逆転する可能性も見えています。そうなれば、誰が日本語を習得するコストを払ってまで、このきつい仕事に携わってくれるでしょうか?

 

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                 離職率

 

また、弟が沖縄から「高齢者施設で働くフィリピンの人が多いのだが、休みがちんだ。新型コロナが怖いからだと思うので、こうすれば怖くないよという指示書を現地語で作って渡そうと思うので英語とフィリピン語に翻訳してくれないか」との依頼が来ました。もちろん引き受けました、ただしサーターアンダーギー(沖縄のドーナッツ)を送ってくれることとを引き換え条件にしてですが(笑)。でも、フィリピン人が休みがちなのは、仕事のキツさ、差別、低賃金、というのも理由として考えないといけないよとアドバイスしました。

 

妻の職場だけが、そうなのかなあと思ったので、外国人の人材紹介をしている方々に聞いてみたら、ほぼどこの高齢者施設も同じような状況で、外国人は不満を言い1年くらいで辞めてしまうことがわかりました。全国津々浦々おそらく似たような状況にあるんでしょう。そして、高齢者施設で働く外国人からよく聞かれるのは、「日本人の介護士はお年寄りに優しくないわ。私はこんな国で歳をとりたくない」ということです。

 

高齢者施設や医療現場で最近「死」に至る事件が起こっています。大阪では、医療に携わるワーカーを削減し、過労死に至る現実が訴訟を通じて明るみに出ました。相当なストレスなんでしょうね。岸田首相は、「3%の賃上げ」を約束しましたが、考えてください、何なのそのメダカの涙ほどの施しは、と思いませんか?現場を全くみてないことを暴露しているだけ。

 

とはいうもののですよ。妻の体験がなかったら、「3%の賃上げ」と聞いて「岸田首相もやるなあ」と思ったかもしれません。「大阪の身を切る改革」に応援をおくったかもしれません。と、正直に言います。

 

わたしを含めて誰でもが、「慮る」「思いを馳せる」という人間にしかない理性をもっていますよね。自分の身に直接起こっていない事柄でも、理性を使えば「自分ゴト」にできます。大学時代の自分自身はそうでした。だから、危険を承知で路上にデモにも出ました。

 

覚醒したのかな?とにかく、世の中の問題に日々触れることで、なぜなんだ?どこに問題があるんだ?解決策は?と考えることが多くなりました。同時に以前も書いたようにレジリエンスを求めるようになりました。しっかり「本質や真実を見つめ」ないと、真実は歪められ隠され、「クソ」マスゴミを通じて間違った事柄を身体に染み込ませて日々満足するような「クソ」愚民になってしまう。そう感じるのです。

 

今後、格差、分断、新自由主義ポピュリズム……民主主義の危機について、調べて考えたことをここで共有してゆきたいと思うのです。きっと、最大のテーマは「資本主義の修正か超克か」そして「次に来たるべき社会のかたちは何か」ということになるでしょうね。

 

ぜひ、お付き合いいただけることを希望して。